2009年10月20日

「日本の伝統」その2

岡本太郎は、「光琳」の最後の方で、当時の封建社会では「芸術家」をそう高く評価しておらず、芸人や職人にすぎなかったと言っています。また、ヨーロッパでも「芸術」や「芸術家」という観念をもちはじめたのは、19世紀以降、日本ではその思想が明治・大正時代にやっと輸入された、と。これはいわゆる「近代的自我」の萌芽の時期とシンクロするのではないでしょうか。で、彼らはどうやって生計を立てていたかというと、やはりパトロンがいて、時にはパトロンの犬にならざるをえない。そして、あらゆる時代において真の芸術家がすくないように正しい鑑賞者も決して多くなく、かならずしも芸術の理解者とはいえず、芸術を堕落させる場合も多いと言っている。光琳もそのようなおもねるような作品が少なくないといいつつ、なにしろ太郎さんは「燕子花」と「紅白梅」をものすごく評価しているので、それといくつかの佳作がなければ、光琳も普通の絵描きだっただろうといっています。
で、その2作をどう評価しているかというところが、とても勉強になります。

以下引用
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 まえに、燕子花と紅白梅の図について私は、画面の梅には梅のなにものも感じられず、川は流れていないと言いましたが、たんに造形の面だけでいえば、それはすでに素材がたんなる手段となり、それ自体としての意味を解消しているということです。なるほどこれらの作品は大いに装飾的です。しかしその本質にはその反対のものもふくんでいる。ここにじつは芸術のただならぬ問題があるのです。
 装飾性と芸術の関係は大へん複雑ですが、芸術が本質においてはたんなる装飾の反対物であることは確かでしょう。真の絵画は装飾性をおびることはできますが、けっして純粋の装飾ではなく、それを越えたものでなければならない。
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引用終わり

川がリアルであるかそうでないか、あるいは単に美しいかそうでないか、ということは問題ではなく、その向こうに表れるてくるものが真の芸術性であり、その絵を目の当たりにしたときに打たれる感情を「デモーニッシュな緊迫感」と形容している。
美術や芸術のもつ力を信じている人は、皆一度は経験があることかと思います。私がこれまでに一番ショックをうけた作品は、やはり高校生のときにセゾン美術館でみたエゴン・シーレの「死と乙女」です。悪夢にひきこまれるような感覚、鳥肌。意味とか形態とかでなく、強烈な何かが確実に私をその作品の前から動けなくさせた。人の発する気迫を越えた、もっと強い何か。あれほど強い経験をしたことはあまりありません。これは図版や写真では伝わらない、確かにそのものに触れないと、そのような経験を得ることはなかったことだと思います。しかし、幸か不幸か出会ってしまった…。

以下引用
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 いづれにせよ、デモーニッシュな緊迫感こそ芸術の内容であり、装飾の目的を越えて、それは不快でさえある。しかしそれがまた快以上の戦慄的な快なのです。複雑なアンビヴァランスです。ここにたくましい芸術の意味があるのです。
 どんな凡人でも、生涯のうちに一度や二度はかならず、おのれ本来の姿を真正面からうちながめてドキッとすることがあるはずです。そういうことなしに生きがいは考えられません。このような魂の高揚期にこそ、作家はおのれと対決し、それを乗りこえておのれ以上のものとなる。言いかえれば、ほんとうにおのれじしんになりきるのです。これが非情の場です。
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引用終わり

この部分、ちょっとわかりにくかったんだけど、シーレのことを思い浮かべての今の解釈は、自分を引きつけたものは少なからず自分とシンクロする要素があったのだということ。で、それは何か、固有解なのか一般解なのかわからないけど、「孤独」に対する恐れと覚悟のようなものなのかな、と。誰も悪くはないけれど、現実に起こりうること、悲しいディスコミュニケーション。それは作品の意味を知った現在からのいらぬ解釈かもしれないけれど…。
しかし、この気迫をここに実現させたのはやはり「技術」や「型」なのでしょうか? いや、やはりそれなしにはあり得ないが、それだけでもあり得ない。一朝一夕には、たどりつかない領域。だから今を耐えしのぐことができるのかと。
まだまだ道半ばの未熟者であればあるほど、それでもなお生きろ、ということか。

「非情」の場、というものについて、もう少し考えたい。それで社会に生きて行くことはできるのか?

ああ、庭までたどりつかなかった。その3に続く…

posted by tamaph at 23:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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