2009年07月03日

池田亮司「+/−」 東京都現代美術館

眠れない…。仕事上の雑事というか用事がたくさんあって、それなりにこなしているつもりだけど、あれもやりたいが、これもしなきゃで、結局後回しになっているものが、本当は目前の「仕事」にとってではなく「自分自身」にとって重要なことだってうすうすわかっているんですけどね。
けどどんな些細なことでも、誰にでもできることでも、結局誰かがやらないと、事物は進まないという、濁流に押し流されるような論理で、みごとにいろんなレベルのことを同時にやっています。とほほ。まあ、そういうときもあるさ。というか、そういうときばっかりだから、つらいんだけどね。もっと脳にブランクをつくりたいと思う今日この頃。
さて、せっかく眠れないから、久しぶりに見ることのできた展覧会について書いておこうと思った次第。
先日、池田亮司「+/−」を、東京都現代美術館に見に行きました。展覧会を見に行くなんて超久しぶりなのですよー。うれぴー。San JoseのISEAで、古い劇場を再興させたCalifornia Theaterというシアターで、datamaticsを大画面で見て、それなりに楽しんだ覚えがあったのと、チラシの写真も良かったので行きたいなーと思っていたら、あっというまに最終日。で、意を決し、小雨降るなか、行ってまいりました。
いろんな理論とかあるのかもしれませんが、今の私には清涼飲料系。思考なしで、ぼーっとその空間にたたずんでいたい感じでした。最終日の閉館1時間前ということもあり、たくさんの人が暗闇のなかの大画面の前で床に直座りして、映像のタームごとに人が流れていく様は潮の満ち引きのごとく、まるで作品の一部のようで、感じ悪くなかった。みんな自由な感じで見ていて、その様は作品とリンクするものがあった。きっとすいてるときにきたら、10年くらい前に水戸芸術館で堪能したジェニーホルツァーなみのリラクゼーションだったかも、と思いつつも、この人の群れは私の中で、要素として実は重要だったと今にして思う。
そしてまたしても「ミニマル」。その包容力に包まれる私なのでした。久々に濃厚なブランキー…。
帰り際、カタログ買って帰ろーと思ったら売り切れ。なんだよナディフー、多めに仕入れといてほしかったなー。見積もり浅いがな…。
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2009年06月14日

「スピノザの世界 神または自然」上野 修

超良書!
スピノザ入門がこの本でほんと良かった!
たぶん、スピノザが書いた本そのものをいきなり読んでいたら、挫折していた。あるいはありがたい言葉だと思っても、ここまで入れ込むことができなかったと思う。この難解な理論をわかりやすくていねいに、ときにユーモアを交えながら説明してくれているすばらしい入門書。
しかし、「神または自然」ってスピノザの信念ではあるが、こうして本のタイトルになるとふつーな感じで、とっても損だと思う!

でもね、次から次へと奇想天外な論理展開の連打は、気にいった部分をドックイヤーしようとすると、全てのページを折り曲げにゃいけない状態で、もう折るのはやめようと決めても、またどうしてもページの下を折り曲げたくなってしまうという、こんな感覚はほんと始めて。(ちなみに私はページ下を小さく折る。上を折るのは次に読むとき先入観になるので目立たないようにしとくのです。)
しかもどんどん読めてしまう。私は読了しないとその本について書かないことに決めている。(だって書くために終わらせる、のさ)でも、フライングしてちょこっと紹介してしまったのはそのくらい衝撃だったから。しかもそこから今回読了するまで時間が経っているのは読み進まなかったのではなく、単に読む暇がなかっただけのことで、トータルではほんとにあっという間、夢のようです! 今でも、夢うつつ…?

これもう、まるごと教科書。何回も読みます、参りました。
現在愛読書No.1! でもレンタル予約入ってるので、明日から貸し出します。しばらくさよーなら。なので詳しく内容について述べるはまたあらためて。とにかく、スピノザありがとう。そして上野先生、ありがとう、です!

「スピノザの世界 神または自然」上野 修
 講談社現代新書 720円

 講談社さんも、いい本だしますねー!
「エチカ」も「知性改善論」も入手済みだけど、しばらくはこの本でお腹いっぱい!!


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2009年05月11日

目から鱗とはこのことか?

きょうはすこぶる幸せだ。
今日は原口典之展とスピノザ読書三昧だった。

思考はミニマルであるべきだ。
世の中は広くて多様なんだから、思考はミニマルにしておかないと、つかみきれないし、多様さを享受できなくなる。
ものをみる最低限の「型」というか。あるいは視点そのもの。
以前は具体的なものを志向していた。比喩表現とか。意味とか象徴とか考えていたのはそのせいだ。

ところで原口典之展「社会と物質」。本日じっくり見ましたが、すばらしい、全て。やっぱりすきのない思考っていいね。表現されたものを見ているだけで、その配慮というか気高さが感じられるよ。しかもそれは単品の完成度もさることながら、全体の空間の扱いがすばらしい。そういう考えられた空間に身を委ねているときってほんと、幸せだよ。それは安心感とかいうような生易しいことでは全くなく、なんと表現していいかわからないんだけど、すごいんだよ!豊かなんだ!
こういうたぐいの空間の豊かさは、私としてはロスのゲティセンター以来の衝撃。
この展覧会は私の思考における歴史に残る展覧会だよ。
掛け値なしで超おすすめ。
ぜったい見るべし。しかもこの空間で!!

今日がこんな日になるなんて思いもよらなかった。
明日も晴れるといいな。
今日は久しぶりに安らかに眠れそうだよ。
スピノザの続きを抱えながらね。

そして、上記のこと、いつかもう少しきちんと文章化して、消化していきたいと思います。

当面の目標はあらゆる意味で「余裕」。
明日もがんばろー。

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2009年05月10日

虚構について

スピノザってすごい。
「真実の思考」と「真理」は別のものだと。
確かにそうだけど…。すごいねこの言い切り。

それが人のバカさなのかな。
では人であるうちは、どうしようもないというか、人であることを辞めるしかないじゃん。

そんなにたいしたこと、求めてないよ。ただ生きるために精一杯もがいてきた。
これがあたしの限界。認めるしかない。

方向性を見失った。
けどきっとたいしたことじゃない。あたし以外の人間にとってはね。
安部公房だ。労働は最大の忘却。
そね、でも大事なことも忘れちゃったのかもね。本末転倒。

「私が虚構するとすれば、それは不可能性も必然性もまったく見えていないあいだだけである。実際、不可能性・必然性がもし理解されていたら、私は何事も虚構できなかっただろう。」
スピノザ「知性改善論」

過去について虚構はありえない。自分はその選択肢以外選びようがなかった。それを悔やんでもどうしようもない。そうしかあり得ない。それ以外は全て虚構。だから今まで出会った人もそうとしかありえなく、離れていった人もまた、そうとしかあり得ない。

虚構を真実に変えるとしたらそれは未来という方向性しかありえない。
でもね、もういい加減つかれちゃった。
見つめるのも、見つめないのも、どっちもね。

きのう仕事中に急いでいて木の箱を膝蹴りしてしまった。ひざがおかしい。さっき気づいたら腫れてた。
けどどうでもいい。そんなこと。ばちがあたったんだ。この痛みは虚構でなく真実。
安堵したい。


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2009年05月04日

「生まれいずる悩み」

「生まれいずる悩み」のなかで有島武郎が書いたことを思い出している。画家を志す田舎の漁師。「画家」になるか「漁師」になるか。しかし、悩みに悩んだ末に出す答えと、崖の上から小石を投げてその表裏で決める決断と、あまり変わりはない、というようなことを言った。読んだのは高校のころだから、きちんとした引用ではないが、自分としてはショックというのとも違う、複雑な心境というか、ガンときたものがあった。なんか心に残る言葉だったのだよね、今でも覚えているくらい。

茂木健一郎氏がクオリア日記で言っている。

「人間の脳は、予想できることとできないことが
 入り交じった偶有性に対して適応する
 ようにできあがっている。

 客観的には同じ状況でも、それを認知する主体
 によって偶有性は異なる。

 〈中略〉

 偶有性を抱きしめよ。
 ただし、うまく抱きしめよ。

 偶有性の海の中で、自分を見失ってはいけない。
 もし見失ってしまったら、
 海に漂っている、確実そうなものを
 とにかくつかめ。

 確実なことと、不確実なことの
 バランスをとることを常に心がけよ。」

とな。
確実なものと不確実なもののバランス。
そしてそのバランスをとるための方法というものが、個性そのものなのかもしれない。
目的は一緒。方法は違う。でも敵は一緒。
せめてその敵だけは、見失わないように。
まちがっても同士討ちだけは避けたいものだ。

今は脳味噌停止。
私はギャンブルには向いていないのよ…。


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2009年05月02日

「ゴドーを待ちながら」 サミュエル・ベケット

自律神経失調症になりそうな、睡眠のアンバランスの合間に読んだ。
それは眠れぬ夜、目覚めてしまった早朝、睡眠と睡眠の合間。
こんなにとぎれとぎれに、しかも夢と現実の狭間で読んでいたというのに、筋が飛ばないで、すぐに続きに入っていけるのはなぜかと、とても不思議だった。
ベケットについて、興味はあるけどあまり知らない。スピノザの影響もあるようだ。「ゴドー…」はあまりにも有名で、今更読むのもどうなのかと思ったけど、読んでよかったと思っている。

ゴドーを待っている浮浪者2名は、なんども別れようとして、でも一緒にいる。一緒にいなきゃいけないはっきりした理由はあまりない。でもゴドーを待つためには一緒にいた方がよいと、暗黙のうちに思っている。たいくつしのぎと意志の継続のため。
ゴドーに何かを期待しているわけではない。ただ、約束したから待っている。浮浪者だからではない。それは立派な職業の人だって変わらないことだ。ただ別の方法で、その場をしのいでいるだけだ。

その場をしのぐ方法でしかないならば、やはり楽しいに越したことはない。しかし楽しくないことがなくなったら、楽しいこともなくなるという矛盾…。

そして誰の元にもゴドーは来ない。そしてみんな知っている。ゴドーは来ない。でもみんな待っている。なぜかゴドーを…。


「ゴドーを待ちながら」 サミュエル・ベケット
 安堂信也 高橋康也 訳   
 白水社 2,100円
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2009年04月29日

いつでも夢を。

たとえば1万人のうちの1人の悪人のために時間を割くより、9999人の善人のために時間を費やし、能力を費やす方が有意義だと素直に思うんだけど、世間様というものは、そうはいかないみたい。
世間は悪を求めてる?
でっちあげ、過剰反応、自己満足。
でも、わかってる人は、わかってるから、大丈夫。
自分がふりまわされないように、注意すること。
いつでも平常心を。
そしていつでも夢を。

でもその夢って何さ??

たぶん、歌っていれば、いいだけさ。
posted by tamaph at 21:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月28日

よくわかりません。

悲しいことを、悲しいと思わない耐性を自分の中につくることに智慧や時間やお金を費やしたり、そのことそのものに危機感を感じたり、本当に人は、あるいは私はアンバランスで、いびつで未完成。その未完成さにどうしようもなくなる。自分の気持ちは、押しても引いてもだめ。そしてついには自分自身の感情というものの確かささえ確認できないまま、時間が来て、時間が過ぎて、そして過ぎてくれなかったり。死ぬのは簡単。生きるのは、これまさに修練。行き先はどこか。あたしにはわからん。でも全ての道はどっかにつながってるんでしょ。どの道を通ったって、多分同じ。といいきかせるのだ。
道に迷った!と焦ったりせず、見たことのない景色を楽しめるくらいな人になりたいな。それには強さが必要なんだね。人に迷惑はかけたくないし。そういえば最近泣かなくなった。それって偉いんだよね。あ、そういえばこのあいだ別件で泣いたか、上司を殴ったとき…。
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2009年04月25日

現代的自我とは?

忙しさの合間のつかの間の時間。
ふうーー。
3冊くらいの本をはしごしながら同時に読んでいますが、読む暇があまりないので、進みません。しかももう一度最初から読み直したりして。読み終わることが目的ではないので、咀嚼というか、別にいいんだ。
最近は「近代的自我」と「現代的自我」についてよく考えます。「現代的自我」という固有名詞はありませんが、もともと世の中はおかしいと思ってはいるのだけど、ほんとに最近おかしいなあ、やばいなあ、と思うんですよね。
「我思う故に我あり」を、何の理解も無く都合のいい風にとらえた輩が誤解に誤解を重ねて、アホがアホを生んでいる。一億総アホ時代だよ、ほんと。どうして理解できないことを、自分の低いレベルで勝手な解釈をして、それが確信だと信じて疑わない、ということができるんだろう。この人たちは、脇見のできない馬みたいな時限装置なんだろうか…。そんな馬たちの競馬につきあわなくちゃいけないのだろうか。ほんと馬鹿みたい。そういえば、バカは馬、鹿だ。
一方、本当に優れたものの見方をする人たちもいて、救われることも時々ある。ほんと「明るい未来」は「未知との遭遇」から始まるのです。だから今、先が見えないからといって落ち込むことはない、と考えられるようになったのは、大人になった証拠かもしれません。
最近の日常は、酒も飲んでないのに酔っぱらっているような感覚がある。もしかして自分が一番ヤバいのか?

posted by tamaph at 16:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

見たことのないことを。

見たことのないことを。
感じたことのないことを。
想像もしなかったことを。

posted by tamaph at 00:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする